島民アーティスト・ボランティア 松田悦子さんに聴く

若手作家を支える島民アーティスト

松田悦子さんは、粟島在住のアーティスト。粟島の名物「ぶいぶいガーデン 」の制作者で、三豊市が実施しているアーティスト・イン・レジデンス事業「粟島芸術家村」で来た若手アーティストたちの支援にも長年携わってきました。

瀬戸内国際芸術祭2019では、佐藤哲士さんと一緒に、大小島真木さんとマユール・ワイェダさんの作品制作を主に手伝うボランティア団体「鯨部隊」の副隊長を務めています(※)。

 

「粟島芸術家村」は、2010年から毎年実施されている事業ですが、その意義は? そしてご自身がアート作品を作り続ける背景について、松田さんにお伺いしました。

 

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※「粟島芸術家村」では毎年8月に展示会を開いていますが、3年に1度の瀬戸内国際芸術祭の際は、作品を瀬戸芸の秋会期中に展示しています。
※以下のインタビューは2019年7月の内容です。

 

「アーティストを育てる」ことで生まれる絆

粟島・松田悦子さん

粟島芸術家村

 

―三豊市は「粟島芸術家村」事業を通して、年に2~3人の若手アーティストを受け容れ、粟島に滞在しながらアート制作を行う支援をしてきました。そこには、どんな意義があると思いますか?

松田:三豊市はもともと香川県からの助成事業として「粟島芸術家村」を始めました。助成金が終了した後も、独自事業として続けています。

アーティスト・イン・レジデンス事業は、日本の他の地域も行っています。ただ、その中には、「作品を作って置いていくだけ」になっている地域もあるかもしれない。

その一方で、粟島の特徴は「アーティストを育てる」場所ということじゃないか、と思います。

「粟島芸術家村」は、別名を「日々の笑学校(しょうがっこう)」と言います。これは、アーティストの日比野克彦さんが付けてくれた名前やけど、「島の人と、アーティストが一緒に笑って過ごす場所にしよう」という思いが込められている。

 

粟島・松田悦子さん

7月13日に実施されたワークショップ

 

松田:粟島に来るアーティストたちの多くは、都会で育った若者です。そうした子たちは、ここに来た時、思い詰めた顔をしていることが多い。

でも、島に滞在する中で、その表情や、描く絵が明るくなるのを見てきました。それは、島に来て「逃がすこと」を覚えたからかもしれない。

 

島のおじいさん、おばあさんはコンピューターで仕事をしているわけでもないし、あまり細かいことにこだわらない。

人間が幸せに生きるには、相手を許したり、いい加減なところであいまいにしたりすることが大切なこともあります。

そういう意味で、粟島は、アーティストが自分の殻から抜け出せる場所なのかもしれない。実際、滞在期間が終わった後も、粟島に来てくれるアーティストの子たちも多くいますが、嬉しいことですね。

 

―都会にいると、高齢者と若者が接する機会は多くありません。若者同士だけでいると、そうした「許す」「いい加減なところであいまいにする」といったことが難しいかもしれませんね。

松田:都会だと、老人も居場所がないかもしれない。お金を使わなければ楽しめないことが多いし、美術館巡りのようなことも、毎日は続けられないし。

でも、粟島のような田舎だと、畑仕事をしたり草刈りをしたりと、やることはたくさんある。そういうことは、負担なく続けられる。だから、田舎は老人が元気なのかもしれない。

島民の関係が濃くなった

粟島・松田悦子さん

7月13日のワークショップで。左は大小島さん

 

―「アートを通じた地域活性化」は、今でこそ、日本各地で行われるようになりましたが、10年前に「粟島芸術家村」を始めた時は、違和感もあったのでは?

松田:それほど反発はなかったかなあ。粟島はもともと世界を駆け巡る船員たちが住む島(※)なので、変わったものを受け入れる風土もあるんやないかと思う。

アート制作をする際、アーティストたちが島の人ひとりひとりに電話して、作業依頼をするのは大変なので、私が取りまとめをするようになりました。

 

特に、2018年から2年連続で来ている(大小島)真木ちゃんとマユールは、島民が全面的に手伝うことを前提にした作品を作ろうとしていました。彼女たちのおかげで、島の人たちの関係が濃くようになった気がする。

粟島は小さい島ですが、普段は地域ごとにそれほど交流があるわけではありません。でも、刺繍をはじめ、さまざまな作業を一緒にやっていると、喋る機会も増えるし、相手の性格も見えてくる。

※粟島と船員の関係については、瀬戸内国際芸術祭公式ウェブサイトのブログもご覧ください。

 

「笑い」がテーマのブイアート

粟島・松田悦子さん

上新田の風景

 

―松田さんは、1944年、香川県多度津町の生まれと伺っています。ご自身の粟島との関わりと、制作されているブイアートについても教えてください。

松田:私が子どもだった頃は、戦後すぐの貧しい時代でした。でも、母は、夏休みになるとよく徳島県の大歩危に連れて行ってくれた。美しい吉野川を見たり、山の中で汽車が走っていくのを眺めたり・・・。そうした中で、自然を好きになったんだと思う。

海員だった夫の仕事もあって、粟島の上新田(かみしんでん)地区に、かれこれ50年以上住んでいます。粟島は、場所によって雰囲気が変わりますが、上新田は特に自然がきれいな場所。

渡り蝶であるアサギマダラも飛んでくるし、海も透明度が高く、クラゲもよく見える。ずっと住んでいるけど、今もすごく好きな場所です。

 

粟島・松田悦子さん

ぶいぶいガーデン

 

―ブイアートをつくり始めた背景を教えてください。
松田:ブイアートは、25年ほど前から始めました。

ブイは、もともと、漁師が養殖業で使っていたものです。彼らが歳をとって漁ができなくなってゴミになり、畑に山盛りにされとったのを、お地蔵さんとして復活させるつもりで作り始めました。

ブイアートのテーマは「笑い」です。最初に88体つくって、次は猫の顔を掘り込んだものを、「にゃんにゃんにゃん」ということで222匹つくりました。これは、粟島で一番高い山である城山が222m、三豊市の総面積が222㎢ということもかけています。

それからも、いろんな人の求めに応じて作っているので、どんどん増えています。

 

―お地蔵さんって、見ているとほっとしますよね。先ほどの「思い詰めた顔をしていた若いアーティストの子たちの表情が明るくなった」という話を思い出しました。ありのままの自分でいいと思える。そんな粟島らしいアートだな、と感じます。本日はありがとうございました。

 

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アーティストを支えるアーティストとして、さまざまな活動をされている松田さん。瀬戸内国際芸術祭で粟島を訪れる際は、さまざまなアーティストの作品とともに、ぜひ島内のあちこちを飾るブイアートも堪能してくださいね!

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